イノシシ
イノシシ(日本語:猪・豬、英名:Wild boar、学名:Sus scrofa)は、鯨偶蹄目イノシシ科の動物の一種。
形態[編集]
体長は雄110〜170cm、雌100〜150cm、肩高60〜90cm、尾長30〜40cm、体重80〜190kg(岐阜市で約220kgもの雄個体が捕獲されたこともある)で、雌は雄よりも小さく性的二型が見られる。全身茶褐色から黒褐色の剛毛で覆われる。指の数は前後ともに4本で、2個の蹄を持つ。雌雄共に下顎の犬歯が発達して牙状になっており、雄は特に長い。雄の牙は生後1年半ほどで確認できるようになり、半月型に曲がった形で終生成長を続け、最大で15cmほどまでになる。上顎の犬歯も大きく、それが擦り合わさるよう下顎の犬歯が生えているため、常に研磨された状態の牙は非常に鋭い。ただ、この牙は後方に湾曲しているため、攻撃用というよりもむしろ護身用である。湾曲の度合いもブタと比べると緩い。
日本産種は大陸種に比べて短足であるといわれる。犬歯を除く歯は一度生え変わる。犬歯だけは歯根が無く一生伸び続ける。歯の大きさ、特に臼歯の大きさには地域性があり、現生個体や遺跡の歯の分析から過去に人為的な移動があったのではないかと推測されている。
幼獣は毛並みの模様がある種のウリの実の模様に似ているためウリ坊と呼ばれる。熱帯雨林に住む鳥類のヒクイドリの幼鳥がそっくりな模様をしており、森林の中で目立たない収斂進化の一種だと見られている。
生態[編集]
元々は昼行性の動物であるが、季節と人間の影響により生活リズムを変えていることが報告されている。人間の活動地域では夜行性に変わる、積雪地では普段は薄暗い時間帯の活動が多いが、冬は昼行性になるという。季節によって生活リズムを変える例は他の動物でもしばしば報告されている。
食性は雑食性でクマやサルと違い木に登れないため、地上や地下部のものを食べている。島根県での観察では主食は植物の地下茎で、秋と冬はドングリもよく食べているという。ドングリは種によっては渋みを感じさせ有害なタンニンを多量に含むが、イノシシの唾液はタンニンの作用を中和する働きを持つ。山口県での観察によればこの中和物質の量には季節変化があり、タンニンを多く含むコナラを食べる時期だけ増加する。ドングリはタンニンだけでなく豊凶によってもイノシシに影響を与えている。ツキノワグマとイノシシはドングリが凶作の年は里に下りてくるが、ニホンジカは相関がみられないという。岩手県での観察では、積雪期の餌としてもドングリが重要であり餌場は広葉樹林を好むが、あまりにも雪深いと掘り起こせず、常緑樹で積雪の少ないスギ林などに移動する。ニホンジカと同じく牧草も食べる。
動物質のものは全体的には少ないが、ミミズや土壌中の各種昆虫の幼虫などが多い。地上性や地下性の小動物をしばしば捕食していることが報告されており、カエル、ヘビ、ネズミやモグラなどが挙げられている。腐肉食を行っているという報告が世界各地で幾つかなされている。これまで観察された殆どはシカ類の死骸についてのものである。また、子殺し(英:infanticide)が観察されている動物の一つであり、この際幼獣は成獣によってしばしば捕食される(後述)。
砂浜の地中に産み付けられたウミガメの卵を掘り返して食べることが、熱帯亜熱帯の個体群で報告されており、日本でも南西諸島で知られる。オーストラリアではウミガメだけでなく、淡水生のカメの卵も狙うことが報告されている。また、地上に巣を作る鳥にとってもイノシシは主要な天敵の一つである。イタリアで人工的な巣と鶏卵を用いて行われた実験ではキツネ以上にイノシシが最も頻繁に捕食したという。
嗅覚は鋭く、多くの匂いに誘引性を示す。脳の反応を観察したところ、イノシシが家畜化されブタになった際に嗅覚の一部を失ったといい、野生化したブタは一部の機能がイノシシ並みに回復するが、完全には回復しないという。多くの野生動物と同じく山火事と関連がある焦げた匂いを嫌う。鼻は匂いを嗅ぐだけでなく、鼻で触ることで物の感覚も確かめられる。また、上半身の力は強く数十kg程度のものなら鼻で押しのけてしまう。聴覚も良く超音波も聞き取ることが出来るが忌避反応は示さない。麻布大学獣医学部講師の実験により200〜500Hzの音に逃避反応を示すことが報告されている。
反対に視力は0.1以下で100m程度が視認範囲とされる。また眼球が顔の側面にあるため立体視は不得意とされる。奥行の把握が苦手であることから、身体能力的には飛び越えられる1m程度の障害物でも設置次第では飛び越えられないという。障害物が飛び越えられる高さであっても、飛び越えるより潜ることを好む行動が観察される。
イノシシはよく泥浴びを行う。泥浴・水浴後には体を木に擦りつける行動も度々観察される。特にイノシシが泥浴を行う場所は「沼田場(ヌタバ、英:wallow)」と呼ばれ、イノシシが横になり転がりながら全身に泥を塗る様子から、苦しみあがくという意味のぬたうちまわる(のたうちまわる)という言葉が生まれた。一般にこれは寄生虫を落としたり、体温調節をしていると考えられている。ヌタバに来る動物の目的は様々でタヌキやアナグマのように餌探しのものから、ニホンジカのメスなどは水分と塩分の補給に来ているといわれる。イノシシの雄が泥浴をするのは繁殖前となる秋が多く、しかも泥浴するのは大きな個体が多いことから寄生虫や体温調節だけでなく繁殖的な意味があるのではという説が提唱されている。
泳ぎは得意であり、波の穏やかな内海や湖などでは泳ぐ姿がしばしば目撃される。1990年代以降でも瀬戸内海や長崎県五島の島では海を渡ってきたと見られる個体群の新規定着事例が報告されている。
同属の Sus cebifronsでは動物園で飼育中の個体が棒を使って穴を掘る例が知られているが、イノシシ S. scrofaでは特に知られていない。
低温期でも冬眠は行わない。このことが分布の北限を決めているのではという説がある。
野生下での寿命は長くて10年であり、一年半で性成熟に達する。繁殖期は12月頃から約2か月間続く。繁殖期の雄は食欲を減退させ、発情した雌を捜して活発に徘徊する。飼育下の個体の観察ではイノシシの雄はマスターベーションによる性交を伴わない射精をしばしば行い、また、ブタと比べると雌が発情していることを確認するような嗅ぐ動作(英:sniffing)が多いという。発情雌に出会うと、その雌に寄り添って他の雄を近づけまいとし、最終的にはより体の大きな強い雄が雌を獲得する。雌の発情は約3日で終わり、交尾を終えた雄は次の発情雌を捜して再び移動する。強い雄は複数の雌を獲得できるため、イノシシの婚姻システムは一種の一夫多妻であるとも言える。雄は長い繁殖期間中ほとんど餌を摂らずに奔走するため、春が来る頃にはかなりやせ細る。
巣は窪地に落ち葉などを敷いて作り、出産前や冬期には枯枝などで屋根のある巣を作る。西表島での観察事例では巣はリュウキュウマツが疎らに生える、ススキの草原に作られていた。通常4月から5月頃に年1回、平均4.5頭ほどの子を出産する。秋にも出産することがあるが、春の繁殖に失敗した個体によるものが多い。妊娠期間は約4か月。雄は単独で行動するが雌はひと腹の子と共に暮らし、定住性が高い。子を持たない数頭の雌がグループを形成することもある。
幼獣の死亡原因の主要なものに、下痢などと並んで挙げられるのが子殺しである。ヨーロッパで飼育下の群れを観察した結果では、母親よりも体の大きな雌に殺される事例が多かったという。天敵は肉食哺乳類や猛禽類、大型爬虫類など。ただし、日本の環境では幼獣はともかく成獣の天敵はほぼいないと考えられる。