イスタンブール
イスタンブール(トルコ語: İstanbul 、英語: Istanbul [ˌɪstænˈbuːl]、ラテン語: Constantinopolis コンスタンティーノポリス、ギリシア語: Κωνσταντινούπολις コーンスタンティヌーポリス /現代ギリシア語 Κωνσταντινούπολη コンスタンディヌーポリ)は、トルコ最大の都市であり、経済・文化・歴史の中心地。ヨーロッパ有数の世界都市。トルコ語の発音に即して「イスタンブル」と表記される場合もある。
概要[編集]
イスタンブールの人口は1,410万人を擁しバルカン半島では最大、ヨーロッパでも最大規模の都市圏 (en) の一つで、イスタンブール市域の人口は世界の大都市の市域人口の上位に含まれている。イスタンブールはトルコに16ある大都市自治体(トルコ語: Büyükşehir, Anakent)の1つで5343平方kmの広大なエリアはイスタンブール県と同一の広がりを持ち、イスタンブールは同県の県都である。同都市はトルコ北西部に位置し、マルマラ海と黒海を結ぶ世界でも最も混雑する航路の一つであるボスポラス海峡を挟んで大陸間に跨った都市である。市域はボスポラス海峡を挟んで東のアジア(アナトリア半島)側と西のヨーロッパ(トラキア地方)側両方に拡がり、西側の市域は金角湾で南北に分かれる。2大陸にまたがる大都市であり、アジアの最も西にある都市でもある。商業や歴史の中心はヨーロッパ側に広がり、住民の3分の1はアジア側に居住している。
サライブルヌ(英語版)の岬に紀元前660年にビュザンティオンとして創建され、現在では歴史上最も重要な都市の一つとしてイスタンブールは知られている。330年にコンスタンティノープルとして再建されて以降およそ16世紀の間、ローマ帝国(330年 - 395年)、ビザンティン(395年 - 1204年、1261年 - 1453年)、ラテン帝国(1204年 - 1261年)、オスマン帝国(1453年 - 1922年) と4つの帝国の首都であった。1453年にオスマン帝国により都市が征服されコンスタンティノープルの陥落が起こる以前のローマやビザンティンの時代はキリスト教発展の要であったが、征服後はイスラム教の中心やオスマンのカリフの中心に変わった。1923年にトルコ共和国がアンカラを新しい首都に制定したが、宮殿や帝国のモスクは今でもイスタンブールの丘に見ることが出来、イスタンブールの以前の中心的な役割を想起させる遺産となっている。イスタンブールは歴史上重要なシルクロードに沿った戦略的な場所に位置する。ヨーロッパ=アナトリア間の鉄道網(オリエンタル鉄道・トルコ国鉄)と黒海・地中海を結ぶ唯一の航路がイスタンブールで交わっている。アナトリア中から移住者がイスタンブールやその周辺に集まって居住地が広まり、1950年代以来人口は10倍に増加している。20世紀後半には芸術祭が確立し、その間にインフラが改善され複合的な交通網が整備されていった。
欧州文化首都であった2010年にはイスタンブールに約700万人の海外からの観光客が訪れ、世界で10番目に最もポピュラーな観光地であった。イスタンブールの最大の呼び物は今でも残されている歴史の中心で、部分的にユネスコの世界遺産に登録されているが、文化やエンタテインメントの中心は市内の天然の良港であるベイオール(英語版)地区の金角湾周辺に見られる。イスタンブールは世界都市と見なされ、多くのトルコの企業やメディアの拠点があり、トルコの国内総生産の4分の1以上を占めている。アメリカのシンクタンクが2017年に発表した総合的な世界都市ランキングにおいて、世界25位の都市と評価された。新しい活力と急速な経済成長にオリンピックを利用することを希望しイスタンブールは2020年夏季オリンピックの招致活動 (en) を行っていた。
呼称[編集]
古代のビュザンティオン(ビザンティオン)、コンスタンティノポリス(コンスタンティノープル)と同じ街である。最初に知られている都市の名称はビュザンティオン(ギリシア語 Byzántion)またはビザンティウム(ラテン語 Byzantium)でこの名称は紀元前660年頃に植民都市を創建したビザス(英語版)の名が元になっている。コンスタンティヌス1世の後、新しいローマ帝国の東の首都を330年に創建し都市は「コンスタンティヌスの都市」を意味するコンスタンティノポリス Constantinopolis(コンスタンティノープル Constantinople)と名付けられ、広く知られる名称となった。ギリシア語では現在、Κωνσταντινούπολη (コンスタンディヌーポリ)と呼ばれている。ラテン語由来の名であるコンスタンティノポリスに基くが、綴りに若干の変化があり、読みも現代ギリシャ語のものとなっている。コンスタンティヌスは「新ローマ」を意味する Nea Roma の名称を広めようとしたが、これは広く使われることはなかった。
コンスタンティノープルの名称は西洋ではトルコ共和国が建国されるまで最も広く使われた名称で、オスマン語ではコスタンティニイェ Kostantiniyye (オスマン語: قسطنطينيه) といい、オスマン支配期に主に使われた名称である。それにもかかわらずオスマン時代の都市を言い表す時、コンスタンティノープル Constantinople を使うことは今では歴史的には間違っていなくても政治的には正しくないとトルコ人により見なされている。19世紀には都市の名称は外国人やトルコ人のいずれかによりいくつかのものが使われていた。ヨーロッパ人はコンスタンティノープルを市内全てを対象として言い表すのに使っていたが、スタンブール Stamboul の名はトルコ人により使われており、金角湾とマルマラ海の間の城壁で囲まれた半島を言い表していた。ペラ Pera(ギリシャ語では「横切って」などの意味)は金角湾とボスポラス海峡の間を言い表すのに使われていたがトルコ人はベイオール(英語版)を使っており今日でも使われている。 「イスラムの街」や「イスラムで満たされた」を意味するイスラムボル Islambol は時折イスタンブールを表す口語として使われ、オスマンが硬貨の一部にも刻印されているが、これが現代の名称であるイスタンブールの前の名称であることは誤りで、イスラムボルの以前から存在しており、オスマンやムスリムにより都市が攻略される以前から用いられていた。 イスタンブール İstanbul(トルコ語発音: [isˈtanbuɫ] 口語では [ɯsˈtambuɫ])の語源は一説に中世ギリシャ語の表現である "εἰς τὴν Πόλιν"(発音 [is tin ˈpolin])からで「都市で」や「都市に」を意味する。これは当時、イスタンブール周辺部では唯一の大都市の地位を反映し、現代の人々が近くの都市の中心を「都心」"the City"と称するのと同じである。他のものではコンスタンティノープル Constantinople から進化し第一音節と第三音節が省略されたと言う見方もある。
現代のトルコ語ではイスタンブールの表記は İstanbul でドットが付いた İ が使われ、トルコ語のアルファベットではドットの有無が区別される。また英語では第一音節の (Is) に強勢が置かれるが、トルコ語では第二音節の (tan) に置かれる。 イスタンブール İstanbul は単独の都市の名称として1930年に公式に採用された。イスタンブール出身者は İstanbullu(複数では İstanbullular)だが英語ではイスタンブライト Istanbulite が使われている。