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アントニオ猪木

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アントニオ猪木(アントニオいのき、本名:猪木 完至〈いのき かんじ〉、1943年〈昭和18年〉2月20日 - 2022年〈令和4年〉10月1日)は、日本の男性プロレスラー、実業家、政治家。位階は従四位。

神奈川県横浜市鶴見区出身。血液型AB型。新日本プロレス設立後のキャッチフレーズは「燃える闘魂」。日本プロレス所属時代のキャッチフレーズは「若獅子」。愛称は「アントン」。複数の結婚歴と離婚歴があり(事実婚を含めて4回結婚している)、二番目の妻は女優の倍賞美津子である。倍賞との間に娘が一人いる。1991年にイラクのカルバラーにてイスラム教に改宗しており、ムスリム名は「モハメッド・フセイン・イノキ」。ただし、ワシントン・ポストによると本人は仏教徒とも自認しており、葬儀も仏式で行われ、「闘覚院機魂寛道居士」の戒名も与えられた。

プロレスラーとしては新日本プロレスの創業や異種格闘技戦で活躍。スピードあふれる正統派スタイルを貫き、コブラツイストや卍固め、延髄斬りなどを必殺技に活躍した。政治家としては参議院議員(2期)、スポーツ平和党代表、次世代の党国民運動局長兼参議院政策調査会長、日本を元気にする会最高顧問、同代表などを歴任。

プロフィール[編集]

神奈川県横浜市鶴見区生麦町(現在の鶴見区岸谷)出身。父親は猪木佐次郎、母は文子(旧姓:相良)。父親は猪木が5歳の時に死去。前田日明は「猪木さんの弁によると父親は県会議員か何かだったって」と著書に書いている。実家は石炭問屋を営んでいたが第二次世界大戦後、世界のエネルギー資源の中心が石炭から石油に変わっていったこともあり倒産。

12歳で横浜市立寺尾中学校に入学するも、生活は厳しかった。13歳の時に貧困を抜け出せるかもしれないという希望から、母親、祖父、兄弟とともにブラジルへ渡り、サンパウロ市近郊の農場で少年時代を過ごす。ブラジル移住後最初の1年半は、農場で早朝5時から夕方の5時までコーヒー豆の収穫などを中心に過酷な労働を強いられた。

幼少時代は運動神経が鈍く、友達からは「ドン寛(鈍感)」「運痴の寛ちゃん」などと呼ばれていたが、ブラジル移住後は陸上競技選手として1958年、1959年の全伯(全ブラジル)陸上競技選手権少年の部に出場、砲丸(投げ)、円盤(投げ)の二種目に優勝するなど、身体能力を発揮して活躍した。その際、ブラジル遠征中の力道山の目に留まる。

プロレス[編集]

主な戦績[編集]

  • 1960年(昭和35年)9月30日、デビュー戦で大木金太郎(金一=キム・イル)に逆腕固めで敗退。
  • 1961年(昭和36年)5月25日、馬場正平と初対決、羽交い締めで敗退。以後1963年10月まで16戦全敗。
  • 1964年(昭和39年)3月12日、海外武者修行の初戦において、ハワイにてプリンス・イヤウケアと対戦(猪木のセコンドに付いていた豊登の乱入で反則負け)。以降、2年後の東京プロレス旗揚げに伴う帰国まで、ディック・ザ・ブルーザー、フレッド・ブラッシー、ザ・デストロイヤー、ジン・キニスキー、フリッツ・フォン・エリック、カウボーイ・ボブ・エリス、マーク・ルーイン、キラー・カール・コックスなどと対戦。
  • 1966年(昭和41年)
    • 10月12日、東京プロレスの旗揚げ戦においてジョニー・バレンタインに勝利。
    • 11月19日、ジョニー・バレンタインを破り、USヘビー級王座を獲得。初のシングル王座戴冠を果たす。以降、バレンタイン、スタン・スタージャック、エディ・グラハムらを相手に防衛戦を行ったが、東京プロレスの崩壊に伴い王座は消滅。
  • 1967年(昭和42年)
    • 5月5日、日本プロレスへの復帰戦で吉村道明と組み、マイク・デビアス&ダン・ミラーに勝利。
    • 5月26日、吉村道明と組んでアイク・アーキンス&ワルドー・フォン・エリックを破り、アジアタッグ王座を獲得。
    • 10月31日、ジャイアント馬場と組み、ビル・ワット&ターザン・タイラーからインターナショナル・タッグ王座を奪取。以降、馬場とのBI砲で活躍。 詳細は「BI砲」を参照
  • 1969年(昭和44年)
    • 5月16日、クリス・マルコフを破り、ワールドリーグ戦初優勝。
    • 12月2日、NWA世界ヘビー級王者のドリー・ファンク・ジュニアに挑戦、60分時間切れ引き分け。
  • 1970年(昭和45年)
    • 7月28日、テリー・ファンクと60分3本勝負で対戦、2-1で勝利。
    • 11月5日、星野勘太郎と組んでニック・ボックウィンクル&ジョニー・クインを破り、NWAタッグ・リーグ戦に優勝。
  • 1971年(昭和46年)
    • 3月6日、ミル・マスカラスと60分3本勝負で対戦、2-1で勝利。
    • 3月26日、ジョン・トロスを破り、UNヘビー級王座を獲得。以降、フレッド・ブラッシー、ジャック・ブリスコ、フリッツ・フォン・エリック、ディック・マードックを相手に防衛戦を行ったが、日本プロレスからの除名に伴い同年12月13日にタイトルを返上。
    • 12月7日、馬場とのBI砲でザ・ファンクスを挑戦者チームにインターナショナル・タッグ王座の防衛戦を行うが敗退、王座陥落。これが日本プロレスでの最後の試合となる。
    • 12月13日、「会社乗っ取り」を理由に日本プロレスから除名される。
  • 1972年(昭和47年)
    • 1月26日、京王プラザホテルで記者会見を開き、新日本プロレスの設立を発表。
    • 3月6日、新日本プロレスの旗揚げ戦においてカール・ゴッチに敗退。
    • 10月4日、カール・ゴッチを破り、世界ヘビー級王座を獲得。
    • 10月9日、レッド・ピンパネールを破り、世界ヘビー級王座を防衛。
  • 1973年(昭和48年)
    • 10月13日、坂口征二と組み、ルー・テーズ&カール・ゴッチと90分3本勝負で対戦、2-1で勝利。
    • 12月10日、ジョニー・パワーズを破り、NWF世界ヘビー級王座獲得。
  • 1974年(昭和49年)
    • 3月19日、NWF世界ヘビー級選手権試合でストロング小林と対戦、大物日本人同士の対決が話題となった。29分30秒、ジャーマン・スープレックス・ホールドで勝利。
    • 3月21日、NWFの本拠地オハイオ州クリーブランドにおいて、アーニー・ラッドを挑戦者にNWF世界ヘビー級王座を防衛。
    • 4月26日、坂口征二と初対戦、30分1本勝負で時間切れ引き分け。
    • 5月8日、キラー・カール・クラップを破り、新日本プロレス版ワールドリーグ戦初優勝。
    • 6月26日、タイガー・ジェット・シンと対戦、アームブリーカーで右腕を折りTKO勝ち。
    • 8月16日、坂口征二と組み、クルト・フォン・ヘス&カール・フォン・ショッツから北米タッグ王座を奪取。
    • 10月10日、NWF世界ヘビー級選手権試合で大木金太郎と対戦、13分13秒でバックドロップからフォール勝ち。デビュー戦の敗退から初の、そして唯一の勝利。
    • 11月13日、ザ・シークとランバージャック・デスマッチで対戦、シークの試合放棄で勝利。
  • 1975年(昭和50年)
    • 3月27日、韓国のソウルにて大木金太郎のインターナショナル・ヘビー級王座に挑戦、両者リングアウトで大木が防衛。
    • 12月11日、NWF世界ヘビー級選手権試合でビル・ロビンソンと対戦、60分時間切れ引き分け。
  • 1976年(昭和51年)
    • 2月6日、ミュンヘンオリンピック柔道無差別級金メダリストのウィレム・ルスカと初の異種格闘技戦。バックドロップ3連発で勝利。
    • 6月26日、プロボクシング世界ヘビー級チャンピオンのモハメド・アリと対戦、15R引き分けに終わる(アントニオ猪木対モハメド・アリ参照)。
    • 9月10日、スーパースター・ビリー・グラハムとシングルマッチで対戦、卍固めで勝利。
    • 10月7日、アンドレ・ザ・ジャイアントと格闘技世界一決定戦で対戦、レフェリーストップで勝利。
    • 10月10日、韓国のソウルにてパク・ソンを破り、NWFヘビー級王座を防衛。
    • 12月2日、元WWWF世界ヘビー級王者のイワン・コロフを破り、NWFヘビー級王座を防衛。
    • 12月12日、パキスタンのカラチにてアクラム・ペールワンと対戦、ドクターストップで勝利。
  • 1977年(昭和52年)
    • 1月7日、スタン・ハンセンと初対戦、反則勝ち。
    • 8月2日、空手のWKA世界スーパーヘビー級王者ザ・モンスターマン(エベレット・エディ)と異種格闘技戦で対戦、KO勝ち。
    • 10月25日、ヘビー級プロボクサーのチャック・ウェプナーと異種格闘技戦で対戦、逆エビ固めで勝利。
    • 12月1日、パット・パターソンを破り、NWFヘビー級王座を防衛。
    • 12月8日、グレート・アントニオと対戦、KO勝ち。
  • 1978年(昭和53年)
    • 2月8日、上田馬之助と釘板デスマッチで対戦、KO勝ち。
    • 5月30日、アンドレ・ザ・ジャイアントを破り、MSGシリーズ初優勝。
    • 7月24日、元WWWF世界ヘビー級王者のペドロ・モラレスを破り、NWFヘビー級王座を防衛。
    • 11月25日、ドイツのシュトゥットガルトにてローラン・ボックと対戦、判定負け。
    • 12月16日、ヒロ・マツダを破り、プレ日本選手権優勝。
    • 12月18日、WWF世界マーシャルアーツ・ヘビー級王者に認定され、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンにてテキサス・レッドを相手に王座を防衛。
  • 1979年(昭和54年)
    • 1月12日、メキシコシティオリンピックレスリング元アメリカ代表のボブ・ループに反則勝ち、NWFヘビー級王座を防衛。
    • 5月10日、元NWA世界ヘビー級王者のジャック・ブリスコを破り、NWFヘビー級王座を防衛。
    • 8月26日、プロレス夢のオールスター戦でジャイアント馬場と組み、アブドーラ・ザ・ブッチャー&タイガー・ジェット・シンと対戦、シンを逆さ押さえ込みに仕留めて勝利。
    • 11月1日、元NWA世界ヘビー級王者のダスティ・ローデスに反則勝ち、NWFヘビー級王座を防衛。
    • 11月30日、ボブ・バックランドに勝利。日本人初、WWFヘビー級王座獲得(王座はのちに返上)。
    • 12月17日、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンにてハッサン・アラブを破り、NWFヘビー級王座を防衛。
  • 1980年(昭和55年)
    • 2月27日、元極真会館のウィリー・ウィリアムスと対戦、ドクターストップの無効試合となった。
    • 4月13日、メキシコシティにてタイガー・ジェット・シンを破り、UWA世界ヘビー級王座を獲得。
    • 8月9日、ニューヨークのシェイ・スタジアムにてラリー・シャープを破り、NWFヘビー級王座を防衛。
    • 9月25日、NWFヘビー級選手権試合でスタン・ハンセンと対戦、逆ラリアットでフォール勝ち。
    • 9月30日、ミュンヘンオリンピック重量挙げ元アメリカ代表のケン・パテラを破り、NWFヘビー級王座を防衛。
    • 12月29日、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンにてボビー・ダンカンを破り、NWFヘビー級王座を防衛。
  • 1981年(昭和56年)
    • 4月23日、NWFヘビー級王座決定戦でスタン・ハンセンに勝利。同時に、IWGP構想に基づき同王座を封印。
    • 8月6日、マスクド・スーパースターと賞金3万ドル&覆面剥ぎマッチで対戦、ジャーマン・スープレックス・ホールドで勝利。
    • 10月4日、ラッシャー木村と初対戦、反則負け。
  • 1982年(昭和57年)
    • 1月1日、新日本プロレス初の元旦興行でローラン・ボックと対戦、反則勝ち。
    • 1月28日、アブドーラ・ザ・ブッチャーとシングルマッチで対戦、反則勝ち。
    • 2月11日、ワフー・マクダニエルとシングルマッチで対戦、フォール勝ち。
    • 4月21日、難民救済チャリティイベントでジェシー・ベンチュラと対戦、フォール勝ち。
    • 11月4日、国際軍団(ラッシャー木村、アニマル浜口、寺西勇)と1対3変則マッチで対戦、寺西と浜口からフォールを奪うも木村にリングアウト負け。
  • 1983年(昭和58年)
    • 1月1日、元旦興行でブラックジャック・マリガンと対戦、フォール勝ち。
    • 5月27日、第1回IWGP決勝リーグ戦で前田明と唯一のシングル対戦、フォール勝ち。
    • 6月2日、第1回IWGP決勝戦でハルク・ホーガンと対戦、アックスボンバーによりリング外に転落し頭を打ちKO負け。
    • 11月3日、維新軍との4対4綱引きマッチで谷津嘉章と対戦、フォール勝ち。
  • 1984年(昭和59年)
    • 1月1日、元旦興行でダスティ・ローデスと対戦、両者リングアウト。
    • 6月14日、第2回IWGP決勝戦で前年優勝したハルク・ホーガンに挑戦、2度の延長戦の末、長州の乱入でリングアウト勝ち。
    • 12月28日、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンにてデビッド・シュルツと対戦、フォール勝ち。翌年に新日本プロレスとWWFとの提携が解消されたため、これが最後のMSG出場となる。
  • 1985年(昭和60年)
    • 2月6日、キングコング・バンディと1万5000ドルの賞金をかけたボディスラムマッチで対戦、ボディスラムで投げられ賞金を失うも、試合にはフォール勝ち。
    • 4月18日、ブルーザー・ブロディと初対戦、両者リングアウト。
    • 12月12日、'85IWGPタッグリーグ戦決勝戦で坂口征二と組み、藤波辰巳&木村健吾と対戦、藤波のドラゴン・スープレックスで敗退。
  • 1986年(昭和61年)
    • 2月6日、UWF代表の藤原喜明と対戦、勝利。
    • 6月17日、アンドレ・ザ・ジャイアントから世界初のギブアップ勝ちを収める。
  • 1987年(昭和62年)
    • 3月27日、大阪城ホールでの「INOKI闘魂LIVE Part2」のマサ斎藤戦に海賊男が乱入。観客が暴動を起こす。
    • 10月4日、マサ斎藤と「巌流島の戦い」を行う。2時間5分14秒の死闘の末勝利。
    • 12月27日、たけしプロレス軍団の刺客、ビッグバン・ベイダーと対戦し、2分49秒で敗れる。再三のカード変更と猪木の敗北に観客が、大阪城ホールに続き暴動を起こす。
  • 1988年(昭和63年)7月22日、長州力と対戦、フォール負け。
  • 1989年(平成元年)
    • 4月24日、「格闘衛星闘強導夢」と釘打ち、プロレス初の東京ドーム大会で柔道ミュンヘン五輪金メダリストショータ・チョチョシビリと異種格闘技戦。裏投げを食らい、左肩を脱臼し(異種格闘技戦初の)敗北。
    • 5月25日、チョチョシビリと大阪城ホールで再戦し、ギブアップ勝ち。
  • 1990年(平成2年)2月10日、坂口征二と組み、蝶野正洋&橋本真也の挑戦を受ける形で対戦、蝶野からフォール勝ち。この試合で初めて「1、2、3、ダー!」を披露。
  • 1992年(平成4年)1月4日、馳浩と対戦、卍固めで勝利。
  • 1994年(平成6年)
    • 1月4日、天龍源一郎と対戦、パワーボムで敗れる。
    • 5月1日、福岡ドームでグレート・ムタと対戦、フォール勝ち。この試合より引退への布石となる「イノキファイナルカウントダウンシリーズ」が始まる。
  • 1995年(平成7年)4月29日、北朝鮮の平壌で行われた「平和のための平壌国際体育・文化祝典」においてリック・フレアーと対戦、フォール勝ち。
  • 1998年(平成10年)4月4日、「ファイナルイノキトーナメント」を勝ち上がったドン・フライと引退試合で対戦、グラウンド・コブラツイストで勝利。

通算成績[編集]

  • シングル戦 - 612勝41敗50分
  • タッグ戦 - 1466勝104敗130分

獲得タイトル[編集]

NWAビッグタイム・レスリング
  • NWA世界タッグ王座(テキサス東部版):1回(第33代)(w / デューク・ケオムカ)
NWAミッドアメリカ
  • NWA世界タッグ王座(ミッドアメリカ版):1回(第53代)(w / ヒロ・マツダ)
ナショナル・レスリング・フェデレーション
  • NWF世界ヘビー級王座 / NWFヘビー級王座:4回(第13代、15代、17代、18代)
ワールド・レスリング・フェデレーション
  • WWFヘビー級王座 : 1回 (新日本プロレスは公式に認めているが、管理権を持つWWEは現在認めていない)
  • WWF世界マーシャルアーツヘビー級王座:2回(初代、3代)
ユニバーサル・レスリング・アソシエーション
  • UWA世界ヘビー級王座:1回(第4代)
東京プロレス
  • USヘビー級王座:1回(ジョニー・バレンタインを破り獲得したタイトル)
日本プロレス
  • UNヘビー級王座:1回(第6代)
  • インターナショナル・タッグ王座:4回(第9代、10代、12代、14代)(w / ジャイアント馬場)
  • アジアタッグ王座:4回(第19代、23代、24代、25代)(w / 吉村道明×3、大木金太郎)
  • ワールドリーグ戦優勝:1回
  • NWAタッグ・リーグ戦優勝:2回(w / 星野勘太郎、坂口征二)
新日本プロレス
  • 世界ヘビー級王座:1回(第2代)(カール・ゴッチが所有していたタイトル。前身はオハイオで1960年代前半に活動していた「AWA」認定の世界ヘビー級王座)
  • IWGPヘビー級旧王座:3回(初代 第2代、3代)
  • NWA北米タッグ王座(新日本プロレス版):2回(第3代、5代)(w / 坂口征二)
  • ワールドリーグ戦(新日本プロレス版)優勝:2回
  • プレ日本選手権優勝:1回
  • IWGPリーグ戦優勝:4回
  • MSGシリーズ優勝:4回
  • MSGタッグ・リーグ戦優勝:4回(w / ボブ・バックランド、ハルク・ホーガン×2、藤波辰巳)
  • ジャパンカップ争奪タッグ・リーグ戦優勝:1回(w / 藤原喜明)
  • ジャパンカップ争奪イリミネーション・リーグ戦優勝:1回(w / 長州力&星野勘太郎)
その他
  • WCW殿堂
  • WWE殿堂
  • NJPWグレーテスト・レスラーズ

得意技[編集]

フィニッシュ・ホールド(必殺技)[編集]

コブラツイスト(アバラ折り:アブドミナル・ストレッチ)
日本プロレス時代に頻繁に使用した技。ジャイアント馬場など他の使い手が増えたことから必殺技としての説得力が薄れ、卍固めをフィニッシュとして使うようになる。猪木のコブラツイストは他人を滅多に褒めることの無かったブルーザー・ブロディも絶賛していた。
卍固め(オクトパス・ホールド)
アントニオ猪木の代名詞的な技。コブラツイストに代わる新しい必殺技として使い始め、卍固めという名前は一般公募により名づけられた。別名アントニオ・スペシャル。
延髄斬り(闘魂キック)
運動中枢であり、人体の急所である延髄をジャンプして蹴る技。これも猪木の代名詞的な技である。
バックドロップ(岩石落とし)
日本プロレス時代は抱え上げ式を主に使っていたが、以後「ヘソで投げる」と表現されるルー・テーズ式バックドロップを使用。
ジャーマン・スープレックス・ホールド(原爆固め)
日本プロレス時代にカール・ゴッチから体得した技。ストロング小林戦で放ったときは勢いがつきすぎてブリッジの際に足が一瞬浮き上がり、首だけで身体を支える形になった(この時のジャーマンはオールスタープロレスリングで必殺技として収録されている)。
ブロック・バスター・ホールド
ルー・テーズとのNWF世界ヘビー級王座戦でフィニッシュとして使用していた。

主に晩年に使用された技[編集]

グラウンド・コブラツイスト
コブラツイストをかけたまま相手とともにマットに倒れ、フォールを取るか関節を極めてギブアップを奪う技。引退試合のフィニッシュ・ホールドとなった。
スリーパー・ホールド(裸絞め)
UWFとの対抗戦で、藤原喜明を締め落としてから使い出した。猪木が使用していたいわゆる「魔性のスリーパー」はチョークスリーパーに近いものであった。
一部では“チョークスリーパー”と呼ばれているが、プロレスではチョーク攻撃は禁止されており、これは実況アナウンサー辻よしなりの誤認であると、当時の解説者マサ斎藤も語っている。

その他の得意技[編集]

アーム・ブリーカー(腕折り)
相手の手首を自分の肩越しにつかみ、二の腕から腕の付け根にかけて自分の肩に強打する、テコの原理を利用した技。1974年(昭和49年)6月26日大阪府立体育会館、NWFヘビー級選手権試合で、相手のタイガー・ジェット・シンに多用し腕を折った。「なんで逃げないの?」への答えは、「掌を押え、肘の関節を外に開く方向で力を加えているから、逃げようとするともっと痛い」。
アントニオ・ドライバー(フロント・ネックチャンスリー・ドロップ)
東京プロレス時代にのみフィニッシュとして使用していた投げ技。
アリキック
モハメド・アリとの異種格闘技戦で使用したためアリの名がつけられた蹴り技。自ら仰向けになり相手の脚の側面や裏側を蹴るこの技は、ボクシングとの異種格闘技戦におけるルールの盲点をついた効果的な攻撃であった(立ったまま、あるいは「スライディングキック」で相手の脚を蹴るバージョンもあり)。アリの脚は試合後、紫色に腫れあがり、ホテルのエレベーターでがっくりと膝をついた、との挿話あり。以降は相手の足を狙ったローキックは、猪木が繰り出すとアリキックと呼ばれるようになる。
リバース・インディアン・デスロック
うつ伏せにした相手の交差させた足を極める技。自分の片足を相手の交差した両足に入れながら、そのまま後ろへ受身を取りダメージを与える。両手を叩きながら観客を煽り、派手に後ろへ倒れこむ様は、歌舞伎でいうところの大見得であり、アントニオ猪木が逆襲に転じる際の大きな見せ場の一つとなっている。倒れこんだ状態で相手のアゴを手で捉えブリッジする「鎌固め」に移行することも多い。また、足を絡めた状態から「変形弓矢固め」に移行するパターンもある。
ナックル・パート
勢いよく振りかぶった拳を相手の顔面(主に額)に叩き込む技。技を出すときは、片手で相手の髪の毛を掴みつつ何度も繰り出すため、相手の額が割れることもある。拳骨はプロレスにおいて反則技だが、アントニオ猪木が激高した際に繰り出す定番の技である。拳を固め、中指のみ突出させて相手の額に打ち付けることもある。別名「鉄拳制裁」、「弓を引くストレート」。弓を引くように思い切り振りかぶる様子から、「ナックルアロー」と呼ばれることもある。
ドロップキック
助走無しで至近距離から蹴るのを得意としていた。全盛期には3回連続で使うこともあったが、試合中盤から反撃の口火を切る際に用いることが多かった。日本プロレス時代は背面とびが多かったが、新日本プロレス時代ではスクリュー式を多用した。
ニー・ドロップ
通常は寝ている相手に対して膝から落ち、ダメージを与える技だが、猪木の場合はトップロープから飛び降り、寝ている相手の顔、または反対方向を向いている相手の後頭部に膝蹴りを繰り出す。
浴びせ蹴り
「竜巻蹴り」とも称される。骨法の技の一つとされており、レオン・スピンクス戦前の骨法特訓にて習得。マッハ文朱や前田日明が得意とした縦回転ニールキックと混同されることが多いが、軸足を残してバランスを取るニールキックとは、両足を離して宙に浮く点が大きく異なる。のちにシングルマッチでこの技を食らった天龍源一郎が、我流のアレンジを加えてこの技を継承している。

メディア出演[編集]

  • DREAM競馬 - 2008年(平成20年)の菊花賞、オープニングに登場。京都競馬場で観客と「1・2・3ダー」をした。
  • 日刊スポーツ東海・関西版(東海地方・北陸地方・近畿地方・山口県以外の中国地方・四国地方向けの新聞)コラム・「猪木のコトバ」(水曜日テレビ面)
  • 大井競馬場 - 2009年(平成21年)の帝王賞、プレゼンターゲストとして登場。観客や勝利馬・ヴァーミリアン関係者と「1・2・3ダー」をした。
  • 明治神宮野球場 - 2010年(平成22年)6月26日のヤクルト対阪神戦において、「同じ場所で一斉に乾杯した人数」ギネス記録に挑戦した際、乾杯の音頭を務める。その結果、ギネス記録を更新(27,126人)。

著書[編集]

  • - 奥付・表紙の書名:『アントニオ猪木の闘魂ハイスクール』。
    • - 猪木(1998)の増補版。
  • 他多数。
    • - アントニオ猪木(2000a)の増補版。
  • - 共同刊行:三省堂書店。

映画[編集]

  • がんばれ!ベアーズ大旋風 -日本遠征- - 本人役(1978年)
  • 激突!格闘技 四角いジャングル - ドキュメンタリー映画(1979年)
  • 格闘技オリンピック 四角いジャングル - ドキュメンタリー映画(1980年)
  • ACACIA
2010年6月12日公開。辻仁成監督、元プロレスラー・大魔神役(主演)。俳優として初主演作。
  • 燃える闘魂アントニオ猪木50年の軌跡
2010年11月13日公開。『アントニオ猪木デビュー50周年DVD-BOX』発売記念としてDVD収録映像を劇場用に特別編集し1週間限定上映。
  • アントニオ猪木をさがして - ドキュメンタリー映画(2023年10月6日公開)

テレビ[編集]

  • 水曜スペシャル(テレビ朝日)
    • 『恐怖の無人島に挑む7人の少年ターザン・隊長アントニオ猪木とパラオ島大探検』(1981年11月25日)
    • 『挑戦!アントニオ猪木と少年シルクロード冒険隊!!』(1984年9月5日)

(後にこの番組で放送された映像の一部はスポコン!で繰り返し放送された)

  • 関口宏の東京フレンドパークII(1996年10月14日、TBSテレビ)‐ 堺正章と来園。
  • プラチナチケット(2003年、テレビ東京)
  • そこまでやるかマン 世界最強の勇者たち(2010年、日本テレビ)
  • 志村&鶴瓶のあぶない交遊録(2011年1月2日、テレビ朝日)
    • 北海道での仕事で欠席となった、ホルスタインモリ夫(モリマン)の代役として、アントキの猪木・アントニオ小猪木共々、参加した。
  • 火曜曲!(2012年、TBS) - OPで実写やアニメ映像で登場。
  • 開運!なんでも鑑定団(2018年1月9日、テレビ東京)
  • 燃える闘魂 ラストスタンド~アントニオ猪木 病床からのメッセージ~(2022年3月2日、NHK総合)

ドラマ[編集]

  • チャンピオン太 - 死神酋長役、ストライプ・スネイク役(1962年、フジテレビ、第1話、第4話)
  • プロレスの星 アステカイザー - 本人役(1976年、NETテレビ、第1話ゲスト出演)
  • 佐々木夫妻の仁義なき戦い 第1話(2008年、TBS)
  • 月曜名作劇場 温泉殺人事件シリーズ 有馬温泉殺人事件 - 本人役(2016年5月30日、TBS)

ラジオ[編集]

  • アントニオ猪木 闘魂ザ・ワールド(ニッポン放送)
  • 日曜夜は馬鹿になれ、847ダー!!(2010年4月 - 、FMヨコハマ)

アニメ[編集]

テレビアニメ『タイガーマスク』では出演はしていないが実在の人物としてのアニメキャラが登場している、声は中曽根雅夫。

  • タイガーマスク二世 - (1981年、プロレス指導としてクレジット)
  • スキージャンプ・ペア Road to TORINO 2006 (2006年)

音楽[編集]

  • 道(2007年7月11日、TRIPLE-P vs アントニオ猪木)

CM[編集]

  • 萬金薬品工業 天狗十王精ドリンク(日本プロレス時代にジャイアント馬場と共に出演)
  • 陶陶酒本舗 陶陶酒(日本プロレス時代に出演)
  • エースバッグ 企業イメージCM
  • マキルヘニー・カンパニー タバスコ(初代タイガーマスクと共演)
  • 大塚製薬 ハイネックスV
  • 日本ハム ジャンボフランク
  • OSGコーポレーション 低周波治療器「リズムタッチ」
  • サントリー 缶コーヒー「BOSS」
  • 久光製薬 エアーサロンパスEX
  • ロッテ モナ王
  • ポッカコーポレーション ポッカコーヒー顔缶 (声のみの出演)
  • 日健総本社 プロポナンゴールド
  • 平和 企業イメージCM
  • ABCマート 企業イメージCM
  • 富士通 パソコンFMVシリーズ (木村拓哉と共演、声のみの出演)
  • マルハン 企業イメージCM (和田アキ子との共演バージョンも存在した)
  • ACジャパン 震災臨時キャンペーン
  • サッポロビール MLBメジャTキャンペーン
  • カルビー 堅あげポテト(ナレーション)
  • サントリー 黒烏龍茶(アニメーションでの出演)
  • グリー 「GREE探検ドリランド」(2012年)
  • ソニー・コンピュータエンタテインメント PlayStation Vita「ツイてるパック篇」(過去映像を使用、声のみ新録)
  • ダイハツ工業 初売りフェアCM「意気込む店長」篇
  • Cygames グランブルーファンタジー TVCM「グラブってますかー!!!編」(2016年)
  • 蔦温泉(青森県・猪木死去後もCMを放映)

パチンコ、パチスロ[編集]

  • パチンコ
    • CRアントニオ猪木という名のパチンコ機(2004年・平和)
    • CR燃える闘魂 アントニオ猪木(2006年・平和)
    • CRアントニオ猪木という名のパチンコ機 道(2010年・平和)
    • CRアントニオ猪木という名のパチンコ機〜やれるのか、本当にお前〜(2012年・平和)
  • パチスロ
    • アントニオ猪木という名のパチスロ機(2002年・平和)
    • アントニオ猪木自身がパチスロ機(2003年・平和)
    • アントニオ猪木も燃えるパチスロ機(2007年・平和)
    • アントニオ猪木が元気にするパチスロ機(2010年・オリンピア)
    • アントニオ猪木が伝説にするパチスロ機(2013年・オリンピア)
    • 闘魂継承アントニオ猪木という名のパチスロ機(2019年・オリンピア)

2006年(平成18年)秋にフィールズが猪木に関するパチンコ・パチスロの商品化権独占使用許諾契約を結んだため、「CR燃える闘魂〜」、「アントニオ猪木も燃える〜」の2機種はフィールズから販売されている。

猪木のものまねをする人物[編集]

  • 有田哲平(くりぃむしちゅー)
  • アントキの猪木
  • アントニオ小猪木
  • 石橋貴明(とんねるず)
  • 井手らっきょ
  • 伊藤千晃(元AAA)
  • キンタロー。
  • 桑田佳祐(サザンオールスターズ)
  • コロッケ
  • Gたかし
  • 島崎俊郎(ヒップアップ)‐主に、オレたちひょうきん族(フジテレビ系列)にて披露された。
  • 鈴木寿永吉(元ザ・ハンダース)
  • 春一番
  • 安田顕(TEAM NACS)
  • 山本彩(元NMB48)
  • ゆーとぴあ・ピース
  • ジャイアント小馬場 - 西口プロレスの興行で時々披露。猪木芸人であるアントニオ小猪木の目の前で小猪木よりも上手い物真似を披露し、小猪木の立場を奪うのが定番となっている。
  • EXILE AKIRA

猪木をモデルとした架空の人物・キャラクター[編集]

マンガ・小説
  • 国会議員(浦安鉄筋家族)
  • グレート巽(餓狼伝)
  • 猪狩完至(グラップラー刃牙)
  • アイアン木場(高校鉄拳伝タフ)
  • アントニオ猪林(愛しのボッチャー)
  • 金小路鉄男(The・かぼちゃワイン)
  • グレートニオ猪地(マーダーライセンス牙)
  • 生野勘助(喧嘩商売)
  • アドニオン諸本(頑丈人間スパルタカス)
  • マーベラス・ロッカ(神拳李酔竜)
  • マーベラス・虎嶋(アグネス仮面)
  • イノギ漢字(わ〜お!ケンちゃん)
  • アーマンド猪熊(憂国のラスプーチン)
  • アンタノワ猪金(やっぱ!アホーガンよ) - コミックボンボン連載当初は「アンターワ猪金」であったが、単行本化の際に変更された。
ゲーム
  • ビクトリー武蔵(ファイヤープロレスリングシリーズ)
  • グレート花形(サンダープロレスリング列伝)
  • ファイター隼(プロレス)
  • イノキング/闘魂戦士イノキ/闘魂王者イノキ(GREE「探検ドリランド」)
  • ダッシャー猪場(エアガイツ)
特撮
  • スプレーバンキ(炎神戦隊ゴーオンジャー)


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