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アリゾナ州

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アリゾナ州(アリゾナしゅう、英: State of Arizona [ɛərᵻˈzoʊnə, ærᵻ-] 、ナバホ語: hoozdo hahoodzo [xòːztò xɑ̀xòːtsò])は、アメリカ合衆国の南西部にある州。地域区分としてはロッキー山脈西部およびアメリカ合衆国西部にも含められる。世界遺産のグランド・キャニオンを擁することで知られる。元来銅と綿花の生産が盛んで、1980年代に南部サンベルトの一角として発展したが、1990年代に入るまで、ハイテク産業の発展に追いつけなかった。ハイテク産業の一大拠点となっており、カリフォルニア州からの企業流入が著しい。

州都および最大都市はフェニックス市である。第2の都市はツーソンであり、その後に続くのはフェニックス都市圏に入っている8都市、すなわちメサ、チャンドラー、ギルバート、グレンデール、スコッツデール、ピオリア、テンピ、サプライズ、さらにユマ郡のユマである。

アメリカ合衆国の州になったのは1912年2月14日で、48番目の州であり、合衆国本土では最後の州だった。非常に暑い夏と温暖な冬の砂漠気候が特徴であるが、北部の松林や山岳部では低地の砂漠よりもかなり涼しい気候になる。

アリゾナ州はいわゆるフォー・コーナーズと呼ばれる4州の1つである。ニューメキシコ州、ユタ州、ネバダ州およびカリフォルニア州と境を接しており、コロラド州とは州北東部のフォーコーナーズの1点で接している。メキシコのソノラ州とバハ・カリフォルニア州とも国境で接しており、その総延長は389マイル (626 km) になる。人口規模はアメリカ合衆国の内陸州としては最大である。州内にはグランド・キャニオン国立公園がある他、多くの国立の森、公園、保護地域がある。領域の4分の1以上は連邦信託地となっており、ナバホ族、ホピ族、トホノ・オーダム族とアパッチ族、さらにはヤヴァパイ族、クチャン族、フアラパイ族、ユマン部族といった、様々な先住民族が暮らす土地になっている。

全米第14位:20220年時点人口7,151,502人:24.3人/km²

家庭で話される言語(アリゾナ州) 2010
英語 72.90%
スペイン語 20.80%
ナバホ語 1.48%
人種構成(アリゾナ州) 2010
白人 57.8%
ヒスパニック 29.6%
インディアン 4.6%
黒人 4.1%
アジア系 2.8%
混血 3.4%

州名の由来[編集]

州名の由来は諸説あり、有力なものとしては、アメリカ・インディアンのパパゴ族のalĭ ṣonak [ˡaɺi ˡʂonak](小さな泉の意)とする説、スペイン語の"árida zona"(乾燥地帯の意)とする説、バスク語でaritz ona(良いオークの意)。アステカの"arizuma"(銀の支柱の意)とする説がある。スペイン統治時代は「Arizonac」と呼ばれたが、これはメキシコのソノラ州プランチャス・デ・プラタ銀鉱山キャンプ近くの地域のみを指すものだった。このことはその地域が現在でもオーダム語でalĭ ṣonakと呼ばれていることから裏付けられる。

歴史[編集]

1539年から1542年にかけてヌエバ・エスパーニャ副王領(現在のメキシコ)からスペイン人の探検が行われた。1539年、フランシスコ会宣教師マルコス・デ・ニサがこの地域を探検し、当時のインディアン、おそらくはソバイプリ族の人々と出会った。1540年から1542年に掛けては、フランシスコ・バスケス・デ・コロナドの遠征隊がシボラを探している間にこの地域に入った。1692年にはキノ神父が訪れ、1700年に聖ザビエル伝道教会を設立しインディアンに宣教活動を行った。18世紀初期までに一連の伝道所が設置され、ピメリア・アルタ(現在はアリゾナ州南部とソノラ州北部)でインディアンの多くをキリスト教に改宗させた。またスペインは1752年にトゥバク、1775年にツーソンに要塞化した町(プレシディオ)を建設した。

1821年メキシコがスペインから独立すると現在のアリゾナ地域は「ヌエバ・カリフォルニア」または「アルタ・カリフォルニア」と呼ばれるメキシコの北西辺境となった。アメリカ合衆国は1848年の米墨戦争でメキシコシティを占領し、後にアリゾナ州となった地域を含めメキシコ北部領域の大半について領有権を主張した。1848年のグアダルーペ・イダルゴ条約により、その領有と引き換えにメキシコ共和国に1,500万ドルが支払われた。1853年の「ガズデン購入」でアメリカ合衆国はヒラ川下流域を領有した。アリゾナは当初、ニューメキシコ準州の一部として管理されていたが、1861年3月16日にニューメキシコ準州の南部が分離してアメリカ連合国の準州となった。1862年2月14日にはアメリカ連合国大統領ジェファーソン・デイヴィスの声明により、アリゾナ準州の成立が認められた。これが公式に「アリゾナ」という名前の使われた最初の機会だった。1863年2月24日にワシントンD.C.で新しいアリゾナ準州の成立が宣言され、このときの領域はニューメキシコ準州の西側半分であり、これが現在のアリゾナ州領域の基本になった。

当初様々な名称が検討され、「ガゾニア」「ピメリア」「モンテスマ」「アリズマ」が俎上に登ったが、エイブラハム・リンカーン大統領が最終法案に署名したときに「アリゾナ」と記されており、それが今日まで続く名前となった。「モンテスマ」はアステカ文明の皇帝ではないもののヒラ・バレーにいたピマ族にとって英雄である者の神聖な名前であり、おそらく「アリゾナ」に落ち着く前にその感情的な価値について真剣に検討され、最後はその案が落とされたと考えられている。

ブリガム・ヤングが19世紀半ばから後半に掛けてモルモン教徒をアリゾナに送り込んだ。彼らはメサ、スノーフレーク、ヒーバー、サフォードの町を設立した。またフェニックス・バレー(あるいは「太陽の谷」)、テンピ、プレスコットの地域にも入植した。モルモン教徒はアリゾナ州北部とニューメキシコ州北部となった所に入ったが、これらの地域は元ニューメキシコ準州の一部だった。



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