禧集院昭広
| ||||
---|---|---|---|---|
基礎情報 | ||||
四股名 | 山下 → 禧勢ノ山 → 禧勢岳→ 禧集院 | |||
本名 | 山下 博嗣 | |||
生年月日 | 1985年9月25日(38歳) | |||
出身 | 鹿児島県日置市 | |||
身長 | 172cm | |||
体重 | 166kg | |||
BMI | 56.11 | |||
所属部屋 | 木瀬 → 北の湖 → 木瀬 | |||
得意技 | 突き・押し | |||
成績 | ||||
現在の番付 | 引退 | |||
最高位 | 西幕下2枚目 | |||
生涯戦歴 | 273勝259敗1休(77場所) | |||
優勝 | 三段目優勝1回 | |||
データ | ||||
初土俵 | 2008年1月場所 | |||
引退 | 2021年1月場所 | |||
備考 | ||||
2021年1月27日現在 |
禧集院 昭広(きじゅういん あきひろ、1985年9月25日 - )は、鹿児島県日置郡伊集院町(現在の日置市)出身で、木瀬部屋(閉鎖処分中は北の湖部屋)に所属した元大相撲力士。本名は山下 博嗣(やました ひろし)。身長172cm、体重166kg、血液型はA型。最高位は西幕下2枚目(2015年9月場所)。
来歴[編集]
相撲を始めたのは5歳の時で、小学生の時に出場した大会で優勝したことを機として相撲に本格的にのめり込む。鹿児島商業高校時代は4年先輩にあたる里山にも胸を出してもらい、数々の実績を残している。大学は日本大学商学部に進学して相撲部に入部。大学同期には明瀬山らがいる。大学時代は個人戦の東日本体重別で2位に入賞など、いくつかの実績を作っている。大学卒業後は教師になることも考えたが、全国学生相撲選手権大会で三浦(のち誉富士)に敗れて膝を負傷したことが契機となって大相撲入りを決意。大学の先輩である木瀬が師匠を務める木瀬部屋に入門して2008年1月場所で初土俵を踏んだ。同期生には同部屋に入門した明瀬山の他、誉富士、慶天海らがいる。
2008年7月場所では6連勝として迎えた7番相撲で誉富士に敗れて序二段優勝を逃したが、次の9月場所で三段目優勝をすると、翌11月場所で幕下に昇進。現在まで7回の幕下昇進を経験し、2012年1月場所では関取昇進の可能性があるといわれる幕下15枚目以内の番付に初めて昇格しているが、幕下では成績が上がらないことが多かった。11月場所から、四股名を高校時代の恩師である禧久昭広[1]から1字いただいた「禧勢ノ山」に改名している。しかし同場所は三段目以下では初めての負け越しとなってしまった。2014年になってからは、6勝1敗1回を含む3場所連続勝ち越しと好調を維持し、7月場所では自己最高位の西幕下8枚目まで番付を上げたが、7番相撲で敗れて勝ち越しはならなかった。翌2015年も1月場所から4場所連続で5勝2敗と好成績を残し、9月場所は自身最高位の西幕下2枚目で迎えたが、3勝4敗と負け越し。翌11月場所も負け越して出直しとなった。2016年以降は調子を落とし、幕下と三段目の往復が続いている。2018年3月より「禧勢岳」、2019年5月より前述した禧久と出身地の旧伊集院町に因んだ「禧集院 昭広」に改名。
2021年1月場所限りで引退した[2]。今後は福岡市で道路関係の仕事に就く予定となっている[3]。
主な成績[編集]
一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
|
---|---|---|---|---|---|---|
2008年 (平成20年) |
(前相撲) | 西序ノ口26枚目 5–2 |
西序二段91枚目 5–2 |
東序二段45枚目 6–1 |
西三段目81枚目 優勝 7–0 |
東幕下53枚目 3–4 |
2009年 (平成21年) |
東三段目9枚目 5–2 |
西幕下51枚目 2–5 |
東三段目15枚目 4–3 |
西三段目5枚目 6–1 |
西幕下31枚目 5–2 |
東幕下21枚目 1–6 |
2010年 (平成22年) |
西幕下45枚目 2–5 |
東三段目4枚目 4–3 |
東幕下55枚目 2–5 |
西三段目17枚目 5–2 |
東幕下52枚目 4–3 |
西幕下44枚目 5–2 |
2011年 (平成23年) |
東幕下31枚目 4–3 |
八百長問題 により中止 |
東幕下25枚目 1–6 |
西幕下38枚目 5–2 |
東幕下25枚目 4–3 |
西幕下20枚目 4–3 |
2012年 (平成24年) |
西幕下15枚目 2–5 |
東幕下25枚目 1–6 |
東幕下51枚目 2–5 |
西三段目12枚目 6–1 |
西幕下35枚目 1–6 |
東三段目筆頭 3–4 |
2013年 (平成25年) |
東三段目15枚目 4–3 |
東三段目2枚目 5–2 |
西幕下37枚目 4–3 |
西幕下30枚目 3–4 |
西幕下40枚目 5–2 |
西幕下24枚目 3–4 |
2014年 (平成26年) |
西幕下32枚目 4–3 |
東幕下27枚目 4–3 |
東幕下22枚目 6–1 |
西幕下8枚目 3–4 |
東幕下14枚目 2–5 |
東幕下29枚目 3–4 |
2015年 (平成27年) |
西幕下39枚目 5–2 |
東幕下26枚目 5–2 |
東幕下16枚目 5–2 |
西幕下7枚目 5–2 |
西幕下2枚目 3–4 |
西幕下5枚目 2–6 |
2016年 (平成28年) |
西幕下19枚目 3–4 |
東幕下27枚目 1–6 |
東幕下57枚目 3–4 |
東三段目6枚目 4–3 |
西幕下56枚目 4–3 |
東幕下50枚目 1–6 |
2017年 (平成29年) |
西三段目20枚目 5–2 |
西幕下56枚目 3–4 |
西三段目11枚目 5–2 |
西幕下48枚目 5–2 |
西幕下33枚目 2–5 |
東幕下49枚目 3–4 |
2018年 (平成30年) |
東三段目筆頭 5–2 |
東幕下42枚目 4–3 |
東幕下34枚目 3–4 |
東幕下40枚目 4–3 |
東幕下31枚目 4–3 |
東幕下25枚目 5–2 |
2019年 (平成31年 /令和元年) |
西幕下14枚目 2–5 |
西幕下27枚目 1–6 |
西幕下52枚目 3–4 |
東三段目7枚目 6–1 |
西幕下32枚目 1–5–1 |
西幕下59枚目 5–2 |
2020年 (令和2年) |
西幕下40枚目 1–6 |
東三段目12枚目 4–3 |
感染症拡大 により中止 |
東三段目2枚目 3–4 |
西三段目10枚目 1–6 |
西三段目45枚目 3–4 |
2021年 (令和3年) |
西三段目60枚目 引退 4–3–0 |
x | x | x | x | x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
改名歴[編集]
- 山下 博嗣(やました ひろし):2008年1月場所 - 2012年9月場所
- 禧勢ノ山 博嗣(きせのやま - ):2012年11月場所 - 2018年1月場所
- 禧勢岳 博嗣(きせおか - ):2018年3月場所 - 2019年3月場所
- 禧集院 昭広(きじゅういん あきひろ):2019年5月場所 - 2021年1月場所
参考文献[編集]
- 読売新聞社刊 月刊大相撲2008年10月号 『注目力士各段ピンナップ』
- 「相撲」編集部編『平成二十四年度版 大相撲力士名鑑』 ベースボール・マガジン社、2012年、41頁
脚注[編集]
- ↑ 日大では大翔鳳、舞の海と同期で、教職についてからは小兵ながらアマチュア横綱を2度獲得。
- ↑ 「コロナ恐怖の序二段琴貫鐵ら引退力士14人を発表」『日刊スポーツ』、2021年1月27日。2021年1月27日閲覧。
- ↑ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2021年3月号(春場所展望号) 74頁
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 禧勢岳 博嗣 - 相撲レファレンススクリプトエラー: モジュール「WikidataCheck」はありません。
This article "禧集院昭広" is from Wikipedia. The list of its authors can be seen in its historical and/or the page Edithistory:禧集院昭広.