独身税
独身税(Bachelor tax)とは、独身の成人に課せられる租税。2020年12月現在、独身者を課税標準としている例はない[1][2]。日本では、資料が残っているルーマニアやソ連ではなく、状況や効果が不明瞭なブルガリアの事例を失敗例として取り上げることが多い[3]。
歴史的には、主に社会的に重要な価値を持つ結婚をしない未婚の男性に対し、モラル・パニックの一環として制定された悪行税であった。古代ローマ時代から、近代ではアメリカのニュージャージー州やミシガン州の議会でも、独身男性の自由奔放さや犯罪率が議論され、その解決策として租税が提案されてきた[4][5][6]。他の地域では、人種的な理由[5]や国家主義的な理由[7]、社会福祉プログラムの支援[8]、あるいは単純に税収として独身税を制定する理由が見出されていた[9]。近年では、独身税は子どもがいないことに対する普通税のひとつと考えられており、ワルシャワ条約機構の加盟国で頻繁に使用されていた[10][11][12]。
歴史[編集]
古代ローマ帝国[編集]
9年、初代皇帝アウグストゥスにより独身税(Lua エラー package.lua 内、80 行目: module 'モジュール:仮リンク/link' not found)が導入された[13]。この税は結婚を奨励するため、未婚の成人男女に所得の1%をめどに適用された。それでも独身を貫くものには相続権や選挙権の剥奪といった重い罰則が課せられた。男性は25歳から60歳まで、女性は20歳から50歳までの独身、あるいは子どもがいない既婚者にも罰則が課せられたが、ウェスタの処女は例外とされた。
オスマン帝国[編集]
オスマン帝国でも、少なくとも15世紀までに独身税(Lua エラー package.lua 内、80 行目: module 'モジュール:仮リンク/link' not found)が制定された[14]。この税金は、農地税(Resm-i çift)やほとんど土地を持っていない農民向けの税(Resm-i bennâk)、あるいは小作人向けの税(caba resmi)すら適用外の貧困層もしくは独身の農民が払っていた[15]。19世紀の一例では、Resm-i çiftが50アクチェに対し、Resm-i bennâk 18アクチェ、caba resmi 12アクチェ、Resm-i mücerredは6アクチェであった[16]。異なる課税記録を比較すると、独身者の税率と確立した農家の税率の比率が年代とともに狭まっている可能性が示唆された[14]。
課税記録によると、Resm-i mücerred納税者は土地との結びつきが弱く、発展途上の都市に移住する傾向が強かった[17]。
イギリス[編集]
1695年、英国議会は結婚義務法(The Marriage Duty Act)と登録免許税を可決し、出生、結婚、埋葬の手続きや、子どものいない未亡人、あるいは25歳以上の独身者に税金を課した。これは主に大同盟戦争のための歳入増加のシステムとして、また聖公会の職員が国勢調査のような記録を作成するための手段として導入された。想定した税収が得られず、1706年に廃止された[18]。
アメリカ合衆国[編集]
1821年、ミズーリ州はすべての独身男性に1ドルの税金を適用し始めた[19]。
ミシガン州では1837年から1935年までの間に計9回の独身税法案が議会に提出されたが、いづれも可決されることはなかった[5]。
ニュージャージー州でも1898年に提案されたが否決された[6]。
1921年にモンタナ州ですべての独身男性に3ドルを課す独身税が導入されたが[20]、性差別を理由に市民William Atzingerが支払いを拒否し[21]、翌年には州最高裁判所によって取り下げられた[22]。ただし判決理由は州憲法が立法による個人への課税を認めていなかったことと制定理由のためであり、性差別については触れなかった[23]。
カリフォルニア州では1934年に少子化対策として提案されたが、可決されなかった[24]。
南アフリカ[編集]
1919年、南アフリカ連邦は、白人の人口増加を黒人のそれと一致させるという、人種的な理由で独身税を課した。[5]
イタリア[編集]
イタリアではムッソリーニ政権下の1927年から1943年まで独身税が創設された。出生率上昇を目的としたこの租税は25歳から65歳の独身に課された。[25]
ムッソリーニは史上最も独身税に熱心に取り組んだ指導者の一人であり、「この税が本当に必要なのかはっきりさせておきましょう。4000万人のイタリア人が9000万人のドイツ人や2億人のスラブ人と比べてどうなのでしょうか。4,000万人のイタリア人は、4,000万人のフランス人+9,000万人の植民地の住民、または4,600万人のイギリス人+4億5,000万人の植民地に住む人々と比較してどうなのでしょうか。」と演説で熱弁している[25]。新聞も独身の犯罪率が高いことを主張した。
支払う金額は年齢により変化し、25歳から35歳までの70リラから始まり、50歳に最高額100リラに到達し、その後は50リラに減少した。これらの額は2回引き上げられ、1936年までに、独身者は既婚者の2倍の所得税を払うまでになっていた[26]。税収は4000万リラから5000万リラになったが、出生率は上昇するどころか急落したため廃止された。
戦後では、深刻な人口減少に悩まされていたヴァストジラルディの市長が、少子化への警告として市民に通知したことがある[27]。
ポーランド[編集]
ポーランドでは、社会主義体制下の1946年に21歳以上の未婚者に課す独身税(Bykowe)が導入された。56年に廃止されたが、急激なインフレ状態にあった1973年1月に25歳以上を対象として復活した。[12]
ソ連[編集]
ソビエト連邦では、1941年から1990年まで子なし税が施行され、25歳から50歳までの子どものいない男性と20歳から45歳までの子どものいない既婚女性に適用された。税額は所得の6%を徴収した。1991年から1992年までは男性にのみ適用された。ソビエト連邦の崩壊とともに廃止された。[28]
ルーマニア[編集]
国策として大々的に人口増加を目指していた社会主義体制時代のルーマニアでは、政策Lua エラー package.lua 内、80 行目: module 'モジュール:仮リンク/link' not foundの一環として1986年に独身税が導入された[29]。Decree 770は1967年に施行され、当初は避妊と中絶の制限を軸としていた。施行直後には巨大なベビーブームが起きて成功したかに見られた。1966年から1967年の間に、出生数はほぼ2倍になり、合計特殊出生率は1.9から3.7に増加した。1967年と1968年に生まれた世代はルーマニア史上最多であり、何千もの保育園が建てられた。しかし、1970年代には従来の水準に戻った。これは人々が抜け穴を探すようになったからである。裕福な女性は医師への賄賂で避妊薬や中絶許可取得を買う平和的なものだったが、貧困層の女性は望まない妊娠をして、感染症や不妊リスク、あるいは死に至るような原始的な中絶を行った。妊産婦死亡率は欧州ワーストとなり、新生児死亡率も近隣国の10倍以上に増加した。育児環境も酷く、乳幼児死亡率が上昇し、孤児も増加した[30]。
この政策は1989年のルーマニア革命とともに消滅した。
脚注[編集]
- ↑ 話題の独身税はデマ?
- ↑ 独身税(アンサイクロペディア)
- ↑ ブルガリアに独身税は存在したか
- ↑ Aulus Gellius『The Attic Nights』Oxford Univ Pr。2016年3月18日閲覧。
- ↑ 5.0 5.1 5.2 5.3 Barnett, Le Roy (2013, Winter). "The Attempts to Tax Bachelors in Michigan". Historical Society of Michigan, pp. 18-19.
- ↑ 6.0 6.1 "Jersey's Bachelor's Tax." New York Times 13, February, 1898. Print.
- ↑ J. Pollard, The Fascist Experience in Italy, London, 1998, pp. 78-9.
- ↑ "Mussolini Imposes Tax on Bachelors." The Evening Independence 10 December 1926. Print.
- ↑ Gibson, Jeremy. The Hearth Tax, Other Later Stuart Tax Lists, and the Association Oath Rolls: FFHS, 1996.
- ↑ “Romanian Pro-Natalism by Max Rudert on Prezi”. prezi.com. 2014年9月14日閲覧。
- ↑ "Tax on childlessness, which existed in the Soviet Union, proposed to be restored" ("Налог на бездетность, существовавший в СССР, предлагают восстановить") http://www.finiz.ru/cfin/tmpl-art/id_art-1054929 (accessed January 3, 2010.)
- ↑ 12.0 12.1 Art. 20 Dekretu z dnia 26 października 1950 r. o podatku dochodowym, j.t. Dz.U. nr 7 z 1957 r., poz. 26.
- ↑ Long, George (1875). “Lex Papia Poppaea”. A Dictionary of Greek and Roman Antiquities: 691–692.
- ↑ 14.0 14.1 Coşgel, Metin M. (2005). “Efficiency and Continuity in Public Finance: The Ottoman System of Taxation”. Int. J. Middle East Stud. 37 (4): 567–586. doi:10.1017/s0020743805052207 .
- ↑ Motika, Raoul『Türkische Wirtschafts- und Sozialgeschichte (1071-1920)』Harrassowitz、1995年、18頁。モジュール:Citation/CS1/styles.cssページに内容がありません。ISBN 978-3-447-03683-2。
- ↑ “HACI BEKTASH VELI'S SON: PIR SALTUK ZAVIYE FOUNDATION IN IRAN”. Türk Kültürü Ve Hac Bektafl Velî Arafltrma Dergisi 50: 43–44. (2009) .
- ↑ Gumuscu, Osman (2004). “Internal migrations in sixteenth century Anatolia”. Journal of Historical Geography 30 (2): 231–248. doi:10.1016/j.jhg.2003.08.021.
- ↑ Gibson, Jeremy. The Hearth Tax, Other Later Stuart Tax Lists, and the Association Oath Rolls: FFHS, 1996.
- ↑ "A copy of Assessor’s General alphabetical lists of Taxable property in Boone county Mo for the year 1821". Boone County, O. Harris Sheriff & Collector. Received auditors office, August 2nd, 1821.
- ↑ STATE EX REL. PIERCE ET AL., APPELLANTS, v. GOWDY, COUNTY TREASURER, RESPONDENT, 62 Mont. 119; 203 P. 1115; 1922 Mont. LEXIS 5 (Montana Supreme Court 1922)
- ↑ "Montana Man Refuses to Pay Bachelor Tax." Batavia Daily Times 23 May 1921: Four o'Clock. Print.
- ↑ "Montana's Bachelor Tax Declared Void." Milwaukee Sentinel 12 January 1922. Print.
- ↑ STATE EX REL. PIERCE ET AL., APPELLANTS, v. GOWDY, COUNTY TREASURER, RESPONDENT, 62 Mont. 119; 203 P. 1115; 1922 Mont. LEXIS 5 (Montana Supreme Court 1922)
- ↑ "Consider Plan of Bachelor Tax." Schenectady Gazette 23, April, 1934. Print.
- ↑ 25.0 25.1 J. Pollard, The Fascist Experience in Italy, London, 1998, pp. 78-9.
- ↑ V. De Grazia, How Fascism Ruled Women: Italy 1922-1945, Los Angeles, 1992, p. 44.
- ↑ Stanley, Alessandra (1999年11月16日). “Vastogirardi Journal; Blissful Bachelorhood and the Shrinking Village”. The New York Times
- ↑ “In the land of "spoiled playboys", does Russia need a bachelor tax?”. Russia Today. 2011年4月1日閲覧。
- ↑ "“Celula de bază a societăţii, oficial indivizibilă”. 2015年2月11日閲覧。." Jurnalul Național, 13 Mar 2009. Online.
- ↑ “What happened to Romania's orphans?”. news.bbc.co.uk. 2017年7月19日閲覧。
関連項目[編集]
- 少子化
- 人口減少社会
- 悪行税
- 子なし税
This article "独身税" is from Wikipedia. The list of its authors can be seen in its historical and/or the page Edithistory:独身税.