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清水義人

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清水 義人
しみず よしと
生年月日 (1953-12-22) 1953年12月22日(70歳)
出生地 大阪府大阪市東住吉区
出身校 大阪大学工学部中退
前職 小学校教諭
所属政党 公明党

選挙区 東住吉区選挙区
当選回数 3回
在任期間 2003年4月 - 2015年4月
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清水 義人(しみず よしと、1953年昭和28年)12月22日 - )は、日本政治家公明党大阪府議会議員団の幹事長や府本部の副幹事長などを務め[1]、府本部代表で衆議院議員佐藤茂樹らとともに、府知事の橋下徹が代表を務める大阪維新の会の進める大阪市廃止、いわゆる大阪都構想に反対した。

略歴[編集]

大阪府大阪市東住吉区生まれ。1966年昭和41年)3月、大阪市立今川小学校卒業。1969年3月に大阪市立中野中学校1972年3月に大阪府立今宮高等学校を卒業。大阪大学工学部に入学したが、1980年3月で中退した[1]

小学校教諭として1982年4月から大阪市立内代小学校1989年平成元年)4月から大阪市立中川小学校1996年4月から大阪市立矢田東小学校に務め、2002年8月に退職[1]

2003年第15回統一地方選挙4月13日執行)に公明党公認で出馬し、大阪府議会議員に初当選(東住吉区選挙区[1])。公明党大阪府議会議員団の政調会長や幹事長、公明党大阪府本部の副幹事長・文化国際局長などを務めた[1]

府議3期12年間を務めたが2015年第18回統一地方選挙4月12日執行)に出馬せず引退した[2]

人物[編集]

橋下慰安婦、中原パワハラ[編集]

清水は公明党大阪府本部の幹部として、府本部代表で衆議院議員佐藤茂樹らとともに、弁護士で府知事の橋下徹が代表を務める大阪維新の会と対立し続けた。

2013年平成18年)5月、太平洋戦争中の慰安婦について大阪市長の橋下が発言し国内外から批判を招き、橋下の米国訪問が中止された際に、公明党府議団幹事長として「橋下氏は自身の発言についていろんな説明をしているが、一番最初に抱いた不信感は払拭されていない」と述べ、「一体何のための発言だったのか未だに分からない」と橋下を批判した[3]

2014年、橋下の早稲田大学からの友人で弁護士の中原徹が府教育長としてパワーハラスメント事件を起こした際、中原の罷免と、任命した松井一郎の知事の責任を問い、「問題の重大性の認識が(自分たちとは)あまりにも違いすぎる」と批判。自民党民主党の会派と一緒に、中原の辞職勧告決議案を提出[4]。その後、中原は辞職した。

大阪都構想、創価学会「Xマスの密談」[編集]

また、維新の会との協力関係について、橋下慰安婦発言の頃は「個々の政策についてはこれまでも是々非々でやってきた。こちらから態度を変えるつもりはない」と述べていたが[3]大阪市廃止(いわゆる大阪都構想)の賛否を問う住民投票大阪市における特別区の設置についての投票)実施については、「都構想が実現したら、どんなに大変なことになるのかを、市民にイメージを持ってもらわないといけない」と述べ、反対。統一地方選で選挙協力する自民府連とともに都構想への反対キャンペーンを展開[5]した結果、府議会と大阪市会で過半数の議席を持たない維新は住民投票実施の議案を通過させられなくなった。

ところが2014年12月23日、公明の支持母体の新興宗教団体「創価学会」の幹部に、橋下と松井が面会し、12月の衆院選で維新が獲得した府内の比例票114万票を創価学会に“突き付けて”都構想への協力を迫った(この面会を官房長官菅義偉が取り持ったとされる)。

結果、翌24日、創価学会側は公明府本部の幹部を東京に呼び、一転し都構想の住民投票の実施へ協力を指示。府本部側は夜遅くまで抗議したが、「住民投票になれば(実際の投票では)反対してもいい」と押し切った[6]

これら「クリスマス(Xマス)の密談」[6]を受けて、翌2015年の5月17日に住民投票が行われることが決定。投票直前の4月に“引退”したが、その理由は語っていない。

誠実こそ最高の力なり[編集]

清水は府議を“引退”したが、2015年大阪市長選挙では、自民推薦の候補の柳本顕を応援した。かつての公明府議団と自民市議団の幹事長同士として大阪都構想に反対した間柄。公明府本部から市長選での活動に制約をかけられていたにも関わらず、「都構想は決着がついた。もう一度大阪を混乱の時代に引き戻そうとしている」と演説。都構想に再挑戦する維新を批判した。

応援演説した理由について「議員バッジを外したから知らん、とは言えないだろう」と説明した[2]

なお市長選で柳本は敗れ、維新の衆議院議員だった吉村洋文が初当選した。

司馬遼太郎『竜馬がゆく』[編集]

清水は自身の信条として、公明党の「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく」との立党精神こそ民主政治の精髄であると述べる一方で、「青年時代に恩師より頂いた『誠実こそ最高の力なり』の指針と、議員として出発するに当たって『人のために尽くす人生こそ、最高の誉れの人生』を胸奥に、常に自己研鑽に励む」としており、「どこまでも、誠実、清潔、正義の人として戦い抜きます」と決意を表明している[7]

座右の銘は「誠実」。好きな作家として司馬遼太郎を挙げ、その著作の中でも産経新聞に連載された長編時代小説竜馬がゆく」(幕末維新を先導した坂本竜馬を主人公)に感銘を受けたとしている[1]

脚注[編集]

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 大阪府議会 清水義人のホームページ: プロフィール” (日本語). 公明党. 2020年10月25日閲覧。
  2. 2.0 2.1 “大阪ダブル選、自主投票の公明票どこへ 支援活動に制約”. 朝日新聞. (2015年11月20日). https://www.asahi.com/articles/ASHCM4T7LHCMPTIL00J.html 2020年10月26日閲覧。 
  3. 3.0 3.1 “【橋下氏訪米中止】「一体何のための発言だったのか」 公明大阪府議団・清水義人幹事長”. 産経新聞. (2013年5月28日). https://www.sankei.com/west/news/130528/wst1305280018-n1.html 2020年10月26日閲覧。 
  4. “中原教育長パワハラ問題で「すべてを否定するものでもない」…大阪府知事が一部擁護”. 産経新聞. (2015年2月27日). https://www.sankei.com/west/news/150227/wst1502270027-n1.html 2020年10月26日閲覧。 
  5. “まるで出来レース? 公明「方針大転換」 維新と密約、官邸の思惑…都構想と憲法改正で裏取引あったのか”. 産経新聞. (2015年2月10日). https://www.sankei.com/article/20150210-CHWYF4BXMVPTDKJHXYKCHBOJUM/ 2020年10月26日閲覧。 
  6. 6.0 6.1 “【都構想、住民投票決定】「Xマスの密談」が流れ変えた…橋下氏の底力の前に公明は”. 産経新聞. (2015年3月18日). https://www.sankei.com/article/20150318-CRUY56NJMFJG3IMRP3NEGRYN6A/ 2020年10月26日閲覧。 
  7. 大阪府議会 清水義人のホームページ: 政治信条” (日本語). 公明党. 2020年10月25日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]


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