植田宮
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稙田宮(わさだのみや)は14世紀の皇族である。早田宮真覚の子。源宗治の兄弟と思われ、九州で南朝 方として戦った。源宗治と同様に、南朝の天皇の猶子になった可能性があるが、王と親王のどちらであったかは未詳である。九州には伊倉宮という南朝方の皇族がいた。彼を稙田宮に比定する説がある[1]。この伊倉宮は1371年8月から翌年正月までの半年にわたり北朝方の田原氏能が守る高崎城を菊池武光と共に攻撃した。しかし高崎城攻略を果たせず撤退した[2]。稙田宮は1377年8月12日に菊池一族とともに肥後国白木原で今川貞世と大内義弘らと戦ったが敗北して自殺した。稙田宮には水上王という孫がいた可能性が高い[3]。
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 赤坂恒明『「王」と呼ばれた皇族 古代・中世皇統の末流』吉川弘文館、2019年。モジュール:Citation/CS1/styles.cssページに内容がありません。ISBN 978-4-642-08369-0。
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