小林北一郎
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小林北一郎(こばやし きたいちろう、1899年 - 1944年)は、保険理論のパイオニア的研究者。1930年代のマルクス主義への弾圧が激しかった時代に、独力でマルクス主義の保険理論の体系化に務めた人物である。その生涯についてはあまり知られていないが、伊藤整や大熊信行とも親交があり、小林多喜二にも政治的・思想的影響力を与えたのではないかと言われている[1]。北一郎の存命中、小樽高商の紀要「商学討究」に掲載された論文が、本間照光によって発掘、その先駆的意義が認められ、戦後、『社会科学としての保険論』として刊行されている。
来歴[編集]
1922年、小樽高等商業学校(現小樽商科大学)卒。
1924年、東京商科大学(現一橋大学)卒。
1924年、横浜火災海上保険株式会社入社。
1944年、東京都杉並区の救世軍療養所にて、結核のため死去(44歳)。
著書[編集]
- 『社会科学としての保険論』(1983年、汐文社より本間照光との共著)
参照[編集]
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- ↑ 社会科学としての保険論. 汐文社. (1983年)