リリア・ダルボーレ
リリア・ダルボーレ(Lilia d'Albore, 1911年[1][2]1月4日[3] - 1988年[4]8月21日[5])は、イタリアのヴァイオリン奏者。[6]本名はエミリア・ダルボーレ(Emilia d'Albore)。[7]
サンタ・マリーア・カープア・ヴェーテレ出身。[8]1922年から[9]ローマ聖チェチーリア音楽院でジョアキーノ・ミケーリとアルド・ペレーニにヴァイオリンを学び、1928年に卒業[8]。その後、ペーザロのロッシーニ音楽院に行き、[9]1929年までジョヴァンニ・チーティの指導を受けた。[8]ペーザロの音楽院を卒業した後は、ベルリン及びバーデン=バーデンで1932年までカール・フレッシュにヴァイオリンを師事[10]した[4]が、1931年にはローマでデビューしている。[9][11]1941年からナポリのサン・ピエトロ・ア・マイエッラ音楽院でヴァイオリン講師となり、1943年には母校のローマ聖チェチーリア音楽院に転じた。[3]1955年から1961年までイタリアの弦楽合奏団「コンプレッソ・ディ・ソリスティ・アントニオ・ヴィヴァルディ」、[6]1961年から1967年までコンプレッソ・ヴィヴァルディ・ディ・ローマの首席奏者を務めた。[5] 1959年から[6]1964年まで[5]ピアノ奏者のジェルマーノ・アルナルディとチェロ奏者のアントニオ・サルダレッリとローマ三重奏団を結成して室内楽の分野でも活動した。1976年にはヨーロッパ弦楽器教育者協会イタリア支部の設立に参加。[12]1982年から同支部の支部長を務め、[13]支部長に就任したその年のうちにイタリア共和国功労勲章[5]のカヴァリエーレ章を受勲。[3]
グロッタフェッラータにて没。[5]
脚注[編集]
- ↑ “Rassegna dorica cultura, cronaca musicale”. 2023年1月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月20日閲覧。
- ↑ 1914年生まれとする資料もある。(アーカイブ 2023年1月20日 - ウェイバックマシン)
- ↑ 3.0 3.1 3.2 Calascibetta, Marcella (2018年8月13日). “Lilia d’Albore: la dolce e struggente voce del violino”. Italiani.it. オリジナルの2023年1月20日時点におけるアーカイブ。 2023年1月20日閲覧。
- ↑ 4.0 4.1 “D'Albore Violin Germany MELOCLASSIC MC2046 [SG] Classical Music Reviews: March 2021 - MusicWeb-International”. 2023年1月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月20日閲覧。
- ↑ 5.0 5.1 5.2 5.3 5.4 Waiblinger, Michael (2020). “Emilia "Lilia" d'Albore was born on 4 January 1911 ...”. LILIA D'ALBORE Violin Recitals in Germany 1939-1955 (Melo Classic): 7. ASIN B08QMJWNLH.
- ↑ 6.0 6.1 6.2 アーカイブ 2014年8月8日 - ウェイバックマシン
- ↑ アーカイブ 2023年1月20日 - ウェイバックマシン
- ↑ 8.0 8.1 8.2 Waiblinger 2020, p. 1
- ↑ 9.0 9.1 9.2 Gurlitt, Wilibard, ed (1959). “D'Albore”. Riemann Musik Lexikon. B. Schott Söhnt. p. 361
- ↑ フレッシュに薫陶を受けることを勧めたのは師のチーティであった。(Waiblinger 2020, p. 1)
- ↑ 1928年にローマのリセウムでデビューしたという情報もある。(Waiblinger 2020, p. 1)
- ↑ “European String Teachers Association ESTA-Italia - Cremona, Italy”. 2023年1月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月21日閲覧。
- ↑ “Esta Italia - ESTA”. 2023年1月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月21日閲覧。
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