アファナシー・マルツェフ
アファナシー・イワノビッチ・マルツェフ(ロシア語:Афанасий Иванович Мальцев、1891年 - 1919年)は、ロシア帝国、ソビエト連邦の軍人[1][2]。
生涯[編集]
ザバイカル州(現在のザバイカリエ地方)チタ・ウエズド[3]、イリンスク郷のドゥルドゥルガ村に住む鍛冶屋の息子として生まれる。
第一次世界大戦時は第13シベリアライフル連隊機関銃隊の副准尉として従軍し、1915年2月5日から23日までの戦闘で勇敢に戦ったとしてゲオルギー軍事勲章を四度授与される[4][5]。
1916年5月12日から准尉に昇進、ロシア革命時はスレテンスク臨時委員会委員長を努め、1918年2月27日にはグリゴリー・セミョーノフを筆頭とする反革命と戦う為、ザバイカル臨時委員会が設立。[6]スレテンスクでは前線から戻ってきたマルツェフが地元のチェキストを率いて勇敢に戦いながら破壊工作等を行う。
同地のソビエト政権崩壊(ザバイカル共和国)時、防諜部隊によって逮捕され、ダウリア駅の地下牢に投げ込まれる。セミョーノフはアファナシーを「東部戦線から恐れを知らぬ戦士であり、ザバイカル民族の中で最高の権威を持つ人物」として個人的に知っており、彼が求めていた理想の人物だった。セミョーノフの命令により、マルツェフはチタに連行。より大きな影響を与えるために、尋問は妻ダリアの立会いの下で行う、大佐の地位でトランスバイカル・コサック軍の勤務を申し出たが、彼は軍に仕えることを拒否。その後チタからマッカヴィーヴォ駅に送られた後、1919年に処刑された。
家族[編集]
妻のダリア・イワノヴナとタチアナがいる。
脚注[編集]
- ↑ https://ria1914.info/index.php/%D0%9C%D0%B0%D0%BB%D1%8C%D1%86%D0%B5%D0%B2_%D0%90%D1%84%D0%B0%D0%BD%D0%B0%D1%81%D0%B8%D0%B9_%D0%98%D0%B2%D0%B0%D0%BD%D0%BE%D0%B2%D0%B8%D1%87
- ↑ https://moyaokruga.ru/Print.aspx?articleId=152016
- ↑ https://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%A7%D0%B8%D1%82%D0%B8%D0%BD%D1%81%D0%BA%D0%B8%D0%B9_%D1%83%D0%B5%D0%B7%D0%B4
- ↑ https://sammler.ru/index.php?/topic/15964-%D0%BF%D0%BE%D0%BB%D0%BD%D1%8B%D0%B9-%D0%BA%D0%B0%D0%B2%D0%B0%D0%BB%D0%B5%D1%80-%D0%B2-%C2%AB%D0%B3%D1%80%D0%B0%D0%B6%D0%B4%D0%B0%D0%BD%D0%BA%D0%B5%C2%BB/
- ↑ https://sammler.ru/index.php?/topic/183048-%D0%BA%D0%B0%D0%B2%D0%B0%D0%BB%D0%B5%D1%80%D1%8B-%D0%B1%D1%80%D0%B8%D1%82%D0%B0%D0%BD%D1%81%D0%BA%D0%B8%D1%85-%D0%BD%D0%B0%D0%B3%D1%80%D0%B0%D0%B4-%D0%B2-%D1%80%D0%B8%D0%B0/page/2/
- ↑ https://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%A1%D1%80%D0%B5%D1%82%D0%B5%D0%BD%D1%81%D0%BA